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大阪高等裁判所 昭和45年(ネ)21号 判決

控訴人 阪神労働信用組合

理由

一、(一)~(四)《省略》

(五) 同四枚目表八行目の「同女の氏名が」との記載から同一二行目の「知らなかつたこと、」との記載までを、つぎのとおりに変更する。

「那須は、前記のように、あらかじめ訴外磨島から預金者の名義を同人の内縁の妻清水多仁江にしてくれと頼まれていたし、且つ、定期預金契約締結に先立つて同女を自分の妻であると紹介されたので、同女が磨島の内縁の妻で本件二〇〇万円の定期預金の預金名義人の清水多仁江に当る人であつて、別口一〇〇万円の定期預金の申込書類を作成した被控訴人が同預金の預金名義人木村幸之助の妻に当る人だろうと推測したのであるが、他方、被控訴人は、本件二〇〇万円の定期預金の預金名義人となつている清水多仁江なる姓名が磨島の内縁の妻の姓名に当ることはもちろん、清水多仁江なる者が実在人であるかどうかさえ知らなかつたこと、」

三、以上の認定事実と《証拠》を総合すると、訴外磨島は訴外島田キミエを介して被控訴人に対し、謝礼を差上げるから自分の指定する方法で定期預金をして貰い度い旨を申入れ、被控訴人の承諾を得たので、この預金を利用して金融を受けることを企て、先ず清水と彫つた印鑑を作つて自分の内縁の妻の清水多仁江の実印として印鑑届をした上で、その印鑑証明書数通の下付を受け、次に、いずれも不動文字部分の印刷された控訴組合とその顧客間の手形貸付等金融取引協定書および手形貸付申込書の各用紙や数通の約束手形用紙に融資申込人としての清水多仁江の記名と前記清水と表示した印鑑の押捺をして未完成の書類や手形を作成し、後日被控訴人がみぎ印鑑により清水多仁江名義で控訴組合に定期預金をした後に、何時でも清水多仁江名義の文書や手形を完成してみぎ定期預金を引当てにして控訴組合から手形貸付を受けることができるように用意万端をととのえた上、みぎ清水と表示した印鑑を被控訴人に交付し、かくして、定期預金証書と印鑑さえ手許に確保すれば定期預金債権を喪失することはないと信じていた被控訴人は、前認定の手順、方法で訴外磨島の指図どおり清水多仁江名義で控訴組合に本件二〇〇万円の定期預金の預入れをしたものであることが認められ、みぎ認定を覆すに足りる証拠はない。

四、以上の認定事実に基いて、以下、本件二〇〇万円の定期預金者は法律上誰となるかについて判断する。

(一)  およそ、銀行等金融機関に対する預金の場合には、たとえ実在する他人名義で預金をした場合であつても、特別な事由のない限り、自らの出捐によつて自分自身の預金とする意思で本人自身でまたは使者もしくは代理人を介して銀行等と預金契約を締結した者がその預金の預金者であると解すべきであるが、銀行等において、真実の預金者が何人であるかを知らず且つ知り得べくもない事情のもとで、預金名義人が預金者であると信じたような場合や、預金の手続を依頼された第三者が勝手に自分の名義で預金し、銀行等がその者が本人の使者に過ぎないことを知らなかつた場合には、預金契約は銀行等と預金名義人との間に成立したものとみるべきである。従つて本人が真実の預金者であることを証明しない限り、銀行等が預金名義人に対しその預金の払い戻しをしたり、或はその預金債権の全部または一部を消滅させたりする行為は有効としなければならない。

(二)  本件の場合について判断するに、前認定の事実関係に徴すると、控訴組合の係員那須は、本件預金契約締結当時、本件二〇〇万円の定期預金は訴外磨島が同人の内縁の妻である訴外清水多仁江の名義でするものと信じていたのであつて、しかも、那須がみぎのように信じたのは、被控訴人から本件の預金に関し控訴組合との間の交渉の委任を受けた磨島が那須に対して、那須が磨島を真実の預金者であると思い違いをするのがもつともであるとするに足りる事前工作や預入れ現場における手順を経た上で、被控訴人の面前で磨島の内縁の妻清水を預金名義人とするよう申し入れ、その際、被控訴人は那須に対し預金者は自分であることを特に念達もしなかつたからであつて、本件二〇〇万円の定期預金は控訴組合と訴外磨島または同清水との間に成立し、被控訴人は訴外磨島のこれら一連の欺罔行為によつて錯誤に陥つて二〇〇万円を控訴組合に払込んだことになり、訴外磨島は被控訴人の損失において本件定期預金債権を不正に取得したが、または訴外清水に取得せしめたことになるので、控訴組合に現実に金員を交付したのが被控訴人であつたとしても、前示預金関係の成立に消長を来すものではない。

この点に関する被控訴人の主張は、被控訴人は本件二〇〇万円の定期預金の預入金を出捐し、且つ、被控訴人自身の預金とする意思で預金契約締結の現場に出席したのであつて、しかも、当時、控訴組合係員那須は被控訴人がみぎ定期預金の預金者であることを知つていたかまたは当然に知り得べき状況にあつたから、控訴組合との関係においても、被控訴人が預金者としての法律関係に立ち、訴外磨島または同清水は預金者としての地位を取得することができないというのであるが、前認定の事実関係によると、被控訴人が二〇〇万円の定期預金の預入金を出捐したことや、みぎ預金を被控訴人自身の預金とする意思で預金契約締結現場に列席したことや、被控訴人自身が那須の面前の机の上に三〇〇万円の現金を置き、清水と表示した印鑑を那須に手渡したことや、預金名義人を清水多仁江とすることに取きめた際に預金名義人は誰でもよいと発言したことや、被控訴人が那須から本件定期預金証書と印鑑を受取つて持ち帰つたことなど、被控訴人のみぎ主張に副う諸事情が認められるけれども、これら諸事情は、いずれも、本件定期預金が被控訴人の預金であることを示す決定的な要素ではないばかりでなく、前認定のその他の諸事情、殊に、被控訴人が訴外磨島に対し、同人から謝礼を貰う約束の下に、同訴外人の控訴組合に対する取引上の立場を良くするために定期預金をするものであることの事情を知りながら、控訴組合に同訴外人の指定する第三者名義で定期預金をすることを承諾し、控訴組合との預金に関する交渉を暗黙裡に同訴外人に委ねたことや、訴外磨島が那須に対して預金者は磨島であると誤信させるために前記各種の事前工作を施したことや、預金預入れの現場においても控訴組合との間の預金に対する交渉は訴外磨島に委ねられ、同訴外人が内縁の妻清水多仁江を預金名義人に指定した際にもそれを承認したことや、続いて、那須の面前で、訴外磨島が本件二〇〇万円の定期預金の申入書を作成し、被控訴人が別口一〇〇万円の訴外木村幸之助名義の定期預金申込書を作成し、前記那須の誤解を深めたことや、被控訴人が本件定期預金の預金者であることは終始一度も表明されたことがなかつたこと等の諸事情と比較すると、未だもつて前記当裁判所の判断を覆すに足りるものとなし難い。したがつて、被控訴人のみぎ主張は採用することができない。

五、被控訴人は、本訴をもつて、被控訴人が本件定期預金の出捐者で且つ被控訴人自身の預金とする意思でみぎ出捐をしたことを証明して、控訴組合に対して本件定期預金の元利金および損害金の支払いを請求しているのであるが、つぎに述べるように、本件定期預金債権は、預金債権者清水および磨島の行為により、全額消滅したので、控訴組合は被控訴人に対してなんらの預金払戻し義務も負つていない。

すなわち、《証拠》を総合すると、控訴組合の貸付係那須大介は、本件清水多仁江名義の定期預金の預金者が訴外磨島であると信じて、またこのように信ずるについてなんらの過失もなく、昭和四二年三月二四日訴外磨島および同清水との間に手形貸付等の取引契約を締結し、同契約中において、万一、訴外磨島および同清水が控訴組合に対する債務の履行を期限に遅滞したときは、控訴組合はみぎ両名の控訴組合に対する預金債権と控訴組合のみぎ両名に対する債権とを、みぎ預金債権の期限未到来の場合においても、また、事前の通知や所定の手続を履践することもなく、対当額について相殺することができる旨の約定をした上、その頃、みぎ取引契約に基づいて、訴外磨島および同清水は、共同で、額面金二〇〇万円、支払期日同年六月二四日、支払地尼崎市、支払場所控訴組合杭瀬支店、振出地豊中市、振出日同年三月二四日の約束手形一通を控訴組合宛に振出し交付し、控訴組合から同手形の割引金に相当する金額の貸付を受けたが、その支払期日にみぎ借金の返済をすることができなかつたので、同支払期日に額面二〇〇万円、支払期日同年七月二〇日、その他の手形要件の記載は前手形と同様の約束手形一通を振出して控訴組合に差入れて、前記借金の期限の猶予を受けたが、またまたみぎ手形の支払期日に借金の返済をすることができなかつたので、控訴組合は、前記取引契約の相殺条項に基づいて、同年八月二九日頃控訴組合のみぎ両名に対するみぎ貸付金の元利金および損害金と本件定期預金の元利金とを対当額について相殺した結果、本件定期預金債権の元利金は全額消滅したことを認めることができる。

被控訴人は、前記控訴組合と訴外磨島および同清水との間の取引協定書、同人らが控訴組合に提出した手形貸付申入書および前記約束手形二通は、いずれも、本件定期預金について控訴組合に届出た清水と表示した印影の印鑑とは別個の印鑑を使用して作成した偽造文書であるので、控訴組合は善意、無過失に前記相殺をしたものといい難く、本件定期預金は元利金、損害金全額について現在も残存していると主張するけれども、《証拠》中被控訴人のみぎ主張に副う供述部分は、前記当裁判所の認定事実と比較して措信し難く、そのほかにみぎ主張を認めるに足りる証拠がないので、被控訴人のみぎ主張は採用しない。

被控訴人は、控訴組合は定期預金証書の交付を受けてこれを占有することなく本件定期預金債権に質権を設定したのであるから、みぎ定期預金債権と控訴組合の訴外磨島および同清水に対する貸付金債権とを相殺することはできない旨の主張をするが、独自の見解であるので採用しない。

被控訴人は、控訴組合は、訴外磨島および同清水と前記取引契約を締結した当時ないし前記相殺をした当時、本件二〇〇万円の定期預金の預金者が被控訴人であることを知つていたか、または、これを知り得べき状態にあつたから、みぎ取引契約ないし相殺は無効である旨を主張するけれども、《証拠》中、みぎ被控訴人の主張に副う供述部分は措信し難く、そのほかに被控訴人のみぎ主張事実を証明する証拠がないから、被控訴人のみぎ主張も採用しない。

六、以上の理由により、控訴組合に対して本件定期預金債権の元利金および損害金の支払を求める被控訴人の請求は失当として棄却すべく、みぎ当裁判所の判断と異る原判決は失当として取消を免れない。

(裁判長裁判官 三上修 裁判官 長瀬清澄 岡部重信)

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